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広島市内の建物でこれ以上に名の通ったものはないでしょう。被爆の実像をあらわす貴重な遺構としてユネスコ世界遺産にも登録されています。
一方で、建築作品としての真価が語られることは少なく、実は多くの人にとって「見ているようで見ていない」建物ともいえるのです。

ここでは時代背景や建築家の出自をたどりながら、原爆ドーム(以下、産業奨励館と表記します)のデザイン面に光を当ててみたいと思います。

戦後モダニズムの傑作である平和記念資料館と向き合う風景はとても象徴的です。

明治の様式建築、昭和のモダニズム

いきなり遠回りになってしまいますが、まずはごく簡単に日本の近代建築史をひもといてみます。

時代が明治になり西欧の建築技術が入ってくると、まずは様式もろともコピーして習得しようとします。この様式というのは、ギリシャ・ローマ以来のヨーロッパの伝統に基づくものであり、列柱が並び、各所に決まった形の装飾があしらわれます。
これら様式建築(歴史主義建築)は、日本国内では特に西欧的な威厳を求めた銀行が好んで建てました。道行く人々に文明開化を強く印象づけたことでしょう。

旧横浜正金銀行本店(ネオ・バロック様式)


旧日本銀行広島支店(ネオ・ルネサンス様式)
広島にも数多くあった様式建築のうち、当初に近い姿で残っているのはこれだけになってしまいました。(※1)


一方、時代が下って昭和になると、日本の建築技術は世界水準に追いつきます。このころ西欧ではグロピウス、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエらにより「モダニズム」と呼ばれる、様式も無く装飾も無い建物が提唱され、日本の建築界も大きな影響を受けました。広島だと逓信病院旧外来棟や袋町小学校などが同時期のモダニズムです。
ル・コルビュジェが設計したサヴォア邸


広島逓信病院旧外来棟

ポイント1:大正期らしいセセッション風の装飾

さて、この産業奨励館は、明治でも昭和でもない大正の建物です。大正時代は、従来の様式にとらわれない新しい建築デザインが模索されつつも、まだモダニズムのように装飾をなくすという発想には至っていません。

このあたりをふまえて産業奨励館の外観を見てみると、様式建築のお約束である列柱がないことに気づきます。一方で表面にはゴテゴテした装飾が見られます。

列柱などの様式建築の”お約束”というべき要素がありません。

この装飾は幾何学的な独特のかたちで、19世紀までの伝統的な様式とは違います。一般にはセセッションと呼ばれ(ゼツェッシオンともいう)、19世紀末〜20世紀初頭のウィーンで生まれた芸術運動に由来します。
セセッションとは「分離派」と訳されます。ウィーンで活躍していた建築家オットー・ワーグナーや画家グスタフ・クリムトを中心に、既存の芸術から分離して新しい表現を探ろうという意図で命名されました。

建物のあちこちに幾何学的な、かなり思い切った形の装飾があり、特にエントランス周辺は手が込んでいます。

では産業奨励館にセセッション風の装飾が付いているのは偶然でしょうか?
実はこの建物を設計した建築家ヤン・レツル(Jan Letzel)はチェコ人であり、当時のチェコはオーストリア・ハンガリー帝国に属していましたから、オットー・ワーグナーらウィーンの最新事情は熟知していたと推測できるのです。産業奨励館の装飾がかなり前衛的なのは、ウィーン・セセッションの影響をダイレクトに受けているためなのかもしれませんね。

神戸の海岸ビルヂング。セセッション風の装飾がありますが、産業奨励館ほど思い切ったものではありません。


ウィーンのセセッション館。さすが本家はとても前衛的です。レツルもこれを見ていた可能性が高いと思われます。

このように、当時のヨーロッパの最先端をふまえた斬新な装飾を付けているのですが、なぜか階段室には取って付けたような様式建築ばりの柱があったりして、まだまだ謎は残されています。
パラペット(屋上の立ち上がり)にも装飾の跡が見られます。


なぜか階段室まわりには様式に基づくデザインの柱(イオニア式の柱頭装飾付き)があります。

やや話が脱線しますが、レツルの初期作品がプラハに残っていますのでご紹介します。基本的にはウィーン・セセッションと同じ方向性ですが、よりアール・ヌーヴォー(※2)らしい有機的なデザインのようにも見受けられました。
レツルが日本行きを決めたのは、アール・ヌーヴォーに大きな影響を与えた日本趣味(ジャポニズム)からではないかとも推測されます。

レツルの初期作品とされるプラハ市内のホテル。外観デザインをレツルが担当したかは不明です。


ヤン・レツル(Jan Letzel) 出典:Wikipedia

ポイント2:ネオ・バロック風の平面プラン

建築デザインとしてもうひとつ注目したいのは、川に面してとてもドラマチックな風景を作ろうとしている点です。
建物の正面(ファサードといいます)を川に向け、外壁は川のラインに沿って緩やかにカーブさせていますが、さらに場所ごとに曲線を描いています。また、ドームは上から見ると正円ではなく楕円形です。平面図を見れば一目瞭然でしょう。

壁面がカーブしているので、川沿いを歩きながら、あるいは川を進む船から建物を見上げると、その形が刻々と変わっていき、とても動的な印象を受けます。おそらくこれも狙ってデザインしたのだと思います。

産業奨励館の平面図。川に沿って建物自体がカーブし、さらに壁ごとに曲線が付いています。ドームは楕円形。(図の出典:「ヒロシマの被爆建造物は語る」)

こういったドラマチックで華美なデザイン、より分かりやすいポイントだと楕円形ドーム&曲線を描いていく階段はバロック様式の影響と解釈できます。
レツルが建築の勉強をしていた20世紀初頭のヨーロッパでは、ネオ・バロック(バロック様式のリバイバル)は見慣れたスタイルだったはずですし、間違いないでしょう。

いくつもの曲線でできた外壁を歩きながら眺めることで、よりドラマチックな風景変化を感じられます。

またも話が脱線しますが、典型的なバロック様式としてバチカンのサン・ピエトロ寺院のファサード部分を紹介します。
いかにもバロック的なのは、列柱を二層ぶち抜きで建てたり、彫刻をあちこちに置いたりして、華やかさを演出しているところです。
また、ローマ教皇がバルコニーから広場の群衆に語りかけるシーンは有名ですが、その広場も上から見ると楕円形になっており、これもバロックの影響と思われます。

サン・ピエトロ寺院のファサード


サン・ピエトロ寺院前の広場

今こそ参考にしたい、リバースケープへの意識

産業奨励館(当初の名称は物産陳列館)は旧広島藩の米蔵があったところに、日清戦争後の県内産品の販売促進のために県が建てたものです。
そのため川沿いの大きな敷地となり、レツルのヨーロッパ的な感性も合わさって、たくみに川沿いの風景づくりがなされています。
この建物が建った時代はまだ自動車というものがほとんどなく、広島の川には多くの船が行き交っていたため、船からの見栄えも意識したはずです。


産業奨励館と元安川の風景 出典:Wikipedia

ところが、戦後は人・物の流れは道路だけになり、多くの建物は川に背を向けてしまいました。さらに、建築基準法などの法律では道路に面することや、道路からの壁面後退を評価するため、川側に余裕のない建物ばかりになったというのもあります。

川の町広島らしい建物のあり方を考えるには、産業奨励館の建て方に学べることも多そうです。

川との調和を強く意識し、川へ向けて開かれた設計はいかにもヨーロッパ的。護岸や雁木と一体化した風景づくりは現代こそ参考にすべきでしょう。


京橋川沿いのRCC文化センターは、川に背を向けて建っていますが、あとから川側に出入口やオープンカフェを設け、川へ開こうという意図を示しています。

本作の建築デザインを語ることの意義

いかがでしたでしょうか。このように、見慣れた建物でも予備知識を入れてからじっくり見上げると新たな発見ができるとお分かりになったのではと思います。

さて、広島市はこの建物を可能な限り永続的に保存する方針です。戦災の悲惨さを直接語ることのできる被爆者の高齢化も進んでおり、こういった被爆建物の重要性は高まる一方です。
しかしながら、(たらればを言ってもしょうがないのですが)もし産業奨励館が被爆していなければ、レンガ造で耐震性も高くないため、いまごろ取り壊されているかもしれません。また、ヤン・レツルは本作の設計者として有名になりましたが、本人は廃墟をデザインしたわけではありませんから、建築作品としての評価をあの世で望んでいるのかもしれません。

8.6の夜には灯籠流しが行われます。

建物の価値は本来多面的なものであり、本稿のように建築デザインに注目して取り上げることも時には重要なのではないかと思います。

アーキウォーク広島では建築公開イベント(毎年秋季に開催)にて本作を含む平和記念公園一帯の解説ツアーを行いますので、ご関心がありましたらぜひご参加いただけると幸いです。

[イベント情報はこちら]

2013年11月の解説ツアーにて

補注
(※1)変化は徐々におこってきたものであり、昭和に様式建築がひとつも建たなかったわけではありません。例えば旧日本銀行広島支店は明治ではなく昭和期の建物です。
(※2)イギリス・フランスを中心に、従来の様式に代わる新たな芸術のスタイルを模索した一連のムーブメント。樹木や蝶など曲線で構成された自然の造形物をヒントに、日本趣味(ジャポニズム)なども加わって形成されました。広義では歴史主義からモダニズムに向かう間の時期に模索されたデザイン全般を指しますので、ウイーン・セセッションや、ガウディの建築などもアール・ヌーヴォーの一種とすることもあるようです。
見学ガイド
■交通 広電 路面電車「原爆ドーム前」電停から徒歩1分。
■周辺地図 マピオン地図
■入館可能時間 外観のみ常時見学可
建物データ
■所在地 広島市中区大手町1-10
■設計 ヤン・レツル(Jan Letzel)
■竣工 1915年
■構造 レンガ造
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